魔の15歳・人生で一番辛かった時!(あの頃BTSがいてくれたら・・・)

学校の画像

https://www.photo-ac.com/main/search?q=%E6%A0%A1%E8%88%8E&srt=dlrank

あの頃、防弾少年団がいてくれたら、私はどっぷりその世界に浸り、アイドルに夢中な女の子、くらいに周囲には映ったかもしれない。実際、防弾少年団はこんな悩めるティーンズの救済者なのだ!

人は15歳という年齢をどのように超えて行くのか?

私は人生の中でまず誰もが苦しむのは、15歳中学3年生だと思っている。
たまに15歳の子供が酷い犯罪を起こして、世間を驚かせる事がある。
しかし、私はそういう事件を見るたびにあーこの子はハマってしまったんだ。
上手く超えられなかったんだと、いつも思う。

私も、15歳の時は苦しかった。

まず、何のために生きているのか?という疑問。
これから長い人生、高校生になって大学生になって、誰かと結婚して子供を持ち、子供が育ちその子が家庭を持ち、・・・・と考えて行くと、発狂しそうになった。
同い年の子供の多くは進学のために、必死になっている。
女子高だったが、これから花開こうとする乙女達の何一つ疑わない純真な美しい横顔を、その頃の私は嫌っていた。
自分の歩く道を疑わないその視線は、近い将来も遠い将来もしっかりと見据えている様な強さを感じた。私はその強さが逆に恐怖だった。
その頃の私は、自分一人だけがまるで洗脳を解かれたカルト教団の信者の様だと感じていた。
持ち手不在の糸が切れた凧の様に、戻る場所も無くさまよっている気がした。

考えに考えて煮詰まって行くうちに、小説を読み始めた。
そして、たどり着いたのが太宰治だったから、考え方はさらに複雑になった。
太宰の中でも特にヤバい「人間失格」と「斜陽」に深く感動してしまったから、たまったものではなかった。

人間失格は、
「生まれてすみません」
から始まるんだから、全否定だ。
自分は生まれて来るべきじゃない人間失格だと告白し、最後には入水自殺を図るストーリー。
没落貴族のデカダンスな美しさを描いた「斜陽」
15歳でこの手の退廃的な真理に目覚めたら、そりゃあもう苦しいです。
特に「人間失格」は繰り返し読み、自分なりの解釈もして苦しみ抜き、苦し紛れに校内の読書感想文コンクールに参加したら、300人以上の参加者の中、優勝してしまった。

審査した先生方から絶賛され、
「非常に深く掘り下げて解読している」
と言われた。
そりゃそうだ、当時の私にとって太宰は自分の心の代弁者であり、「人間失格」はバイブルとなっていたのだから。(人間失格がバイブルって、どんなんだ?)

鈍感力の大人達

先生は感想文として褒めてくれたんだろうけど、私にとってそれは15歳の乙女には相応しくない暗黒の思いを綴った告白文だった。
これで私が受賞の直後に犯罪でも起こしたら、きっとこの感想文が紹介され、心の闇だのなんだの言われるはずだ。
「15歳にしては、書く内容が暗かったですね。他の生徒の文章と比べると、やはり異質な感じがしました。」
とか、何とか・・・。
精一杯の正義感をアピールしつつ、その先生はコメントするだろう。
(全くの空想でよくもこれだけ国語の先生を批判できると、書いていてちょっと反省した)

とにかく紙一重なんだ。なぜ15歳が危ないのかは、いまだに良くわからないが、丁度小学校を出てから3年間、大人と子供の間を行ったり来たりしているうちに翌年は高校生になる。もう言い訳が出来ない大人にかなり近づく。
周囲の大人を見回してみると、皆何の疑いもなく日々をやり過ごしているように見える。でも、私はそんな風には生きられないと思う。
大人になる事は、自分の中の純粋な部分を日々失って鈍感になって行くような気がしてジタバタする。
そんな焦りや葛藤が思考回路をどんどん歪めて行く。
だんだんと明るいものより、暗いものに魅かれて行く。
周囲を否定する事に夢中になる。

魔物に魅入られたようだった!

でも、不思議な事に高校入学と同時に、私の気持ちは付き物が落ちたように180度変わって行った。あんなに夢中になっていた太宰も読まなくなった。
(勿論太宰が悪いのではない。「人間失格」も「斜陽」も不朽の名作だ)
そして、私はそれまでが嘘のように穏やかになって行った。
特別に何かをしたわけではない。ただ、これが成長するという事なのかと実感したのは事実だ。

これを世間一般に言われる、反抗期という言葉で片付けてもらっては困る。
もっと深い闇があった。毎日が善と悪の境界線を綱渡りさせられている様な恐怖に自分は支配されていた。
最後に嵐が通り過ぎて行くのを、私は身をかがめ息を殺して全身で耐えて過ごした。
その一刻一刻を私は魔の時と呼んでいる。

高校生活も慣れて落ち着いた頃、15歳の時を振り返って、あの頃は危なかったなと繰り返し思った。
そして、自分はもう大丈夫だと、何故かいつも根拠のない自信が湧いてくるのも不思議だった。
本当に乗り越えたと思った。
何を乗り越えたのか?それは、魔の時としか言いようが無い。
それから先は大学受験をやめて、自分のなりたいデザイナーになろうと決めた。
自分の人生だから、自分が納得できる生き方をしようと思った。
そして、その通りの人生になった。

今でもニュースで15歳の子供が悪い方向に行ってしまった事件などを見ると、その内容は様々で一言でコメントは出来ないが、他人事のようにも思えない。
15歳を何の疑問も持たずに通り過ぎる子も沢山いるだろう。
ただ、一度疑問を持ってしまうと、その隙をついてきっと魔物が入り込むのだ。

どうしたら良いという助言も出来ない。
ただ、気を付けてとしか言いようがない。
15歳は、本当に苦しかった。

それが反抗期と言うものなんだよと、もっともらしい顔で語る大人は幸せな人・・・です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。